『あの花』脚本家の岡田麿里さん、不登校だった事を告白。そして自伝ドラマが本日NHKで放送される模様
「あの花」脚本家が、じんたんに不登校を「脱却」させなかった理由 岡田麿里さん学校に通えなかった5年半
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思春期の揺れる心情が描かれたアニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」や「心が叫びたがってるんだ。」の脚本を手がけた岡田麿里さん(42)は中高生時代に不登校でした。「あの花」では、不登校の主人公を描きながら学校シーンはほとんど登場させなかった岡田さん。
「あの花」と「ここさけ」の生みの親が、生きづらさを抱えた若者たちに伝えたいこととは? (聞き手 朝日新聞大阪社会部記者・金子元希)
――いつから不登校になったのですか。
「きっかけは小学校時代です。学校でのポジション、アニメ現場の言葉で言うなら『キャラクター設定』につまずきました。
その結果、中1の途中から高校まで5年半、登校拒否児をしていました。ずっと息苦しくて、現状から逃げることができず、何の変化もなく消えていく日々でした」
<岡田さんは1976年生まれ。埼玉・秩父の公立中に通っていた。文部省(現・文部科学省)が「登校拒否」を「不登校」に改めたのは1999年だった>
――学校にまったく行っていなかったのですか。
「自分を登校拒否児とは認めたくなくて、修学旅行や学期の終わりは『つじつま合わせ』になんとか登校しました。
中間テストの日に行ってみたことも。その度に激しくダメージを受けて、また何カ月も学校に行けなくなってしまうんですけど。通常営業の、いつもの教室に行く勇気はなかったです」
「妄想で過去をやり直していた」
――夏休みはどんな位置づけでしたか。
「夏休みは大好きでした。それは、他の子たちも同じように学校を休んでいるから。
普段は外を歩くだけでも緊張していたのですが、夏休みは『私だけが休んでいるわけじゃない』と開きなおれて、自由にふらつけたんです。夏休みが終わるときは、絶望的な気持ちになりました」
――学校に行かないとき、何を考えていましたか。
「どうしてこうなってしまったのかと、過去のことばかり考えていました。こうすればよかったんじゃないかと、妄想で過去をやり直してみたり。
母親に対して罪悪感もありました。『私を捨ててくれないかな』とか。その方が『学校に行く』『行かない』の問題から離れた場所に行けて、今よりマシだとまで思っていました」
――高校を出ると、不登校が終わったのですね。
「上京してゲームの学校に通うことになったのですが、すごく気が楽になりました。早朝にふらっとコンビニに行けるとか、過去の私を知っている人が全然いないとか」
22時00分~22時30分
学校へ行けなかった私が“あの花”“ここさけ”を書くまで
アニメ「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない」を生み出したカリスマアニメ脚本家の自伝ストーリー。
大ヒットアニメの原点は、かつて生きづらさを抱えたひきこもりだった作者自身の過去であった…
アニメ作品の映像と実写ドラマをコラージュした全く新しい青春物語がここに誕生!
生きづらさを抱える多くの若者に向けてお届けします。主演は前田敦子。
【作】岡田麿里,【出演】前田敦子,大東駿介,浜野謙太,長井短,温水洋一,野間口徹,田中要次,本田博太郎,富田靖子
【学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで】大ヒットアニメ「あの花」「ここさけ」脚本家はひきこもりだった?!人気脚本家・岡田麿里の自伝を前田敦子主演でドラマ化。BSプレミアムで明日9月1日(土)夜10時から、ぜひご覧下さい!#あの花ここさけhttps://t.co/kjPWWmiPR7 pic.twitter.com/6w6Fx333uj
— NHKドラマ (@nhk_dramas) 2018年8月31日