【悲報】ひろゆき、専門家に批判される「現実を抽象的な枠組みに当てはめて、大声出してるだけ」
「座り込み」定義論争が無視した運動のリアル
――番組の冒頭でひろゆき氏は、「座り込み」という言葉は座り込んで動かないことだから、工事車両が通るときに合わせて抗議をするのは座り込みではない。辺野古に掲げられている「座り込み抗議3011日」という看板を「多数派が理解できるような表現に変えるべき」との持論を繰り返しました。 それに対して、阿部氏や宮原氏は、ひろゆき氏が「笑える特権」を持っている立場にいること、抗議行動に対する敬意のなさを指摘しました。
志賀 社会科学的な視点からも、ひろゆき氏の「座り込み」の定義についての議論には大きな問題があると言えます。社会科学というのは、具体的な現象と抽象的な議論をつねに往復する必要があるのだけれど、ひろゆき氏の態度は、その抽象的な議論を具体的な現象に当てはめることばかりに躍起になって、具体的な現象そのものを見ようとしてない。
ひろゆき氏は、抽象化された言葉の定義から出発して現実に抵抗運動に取り組んでいる人々を非難する。つまり、現実を抽象的な枠組みにあてはめようという、転倒した議論です。
抽象化されたものから議論を出発させると、とりあえず大声を出したもん勝ちになってしまいます。それを「論破」と呼んでいる。そこでは、抵抗運動に取り組む人々の意味や目的は無視されています。
司法書士にも完全論破される
安里 まず、「言葉の定義」というものの扱い方について、ひろゆき氏は誤った認識をしています。言葉を解釈するときは、定義のあとに意味がついてくるわけではありません。日常的な意味のあとに定義がついてくる、という考え方が重要になるケースはきわめて多いのです。
私は司法書士ですけれども、法律を扱う場面では、必ずしも固定した条文の解釈が前提にあって、それを事案に当てはめていくわけではありません。事案によっては、条文を目的論的に解釈するなど、法の妥当性を維持するために解釈をしていきます。言葉が持つ意味は、それが使われるさまざまな場面によって議論が積み重ねられていく。
そのような性格を無視し、一つの辞書に書いてある定義が絶対的だと一方的に認定して、多数派が理解できる表現に変えるべきという理屈にこだわるのは滑稽です。